南の島フィリピンのパラワン諸島に行ったとき、暖かくてのんびりと美しい海があんまり当たり前にあって、自分は一度召されてしまったのかと疑いたくなるくらいでした。何色にもくるくると変わる海の色、その中には銀の魚たちが何の心配もなく安心しきって泳いでいて、逃げるどころか溶け込ませてくれそうに周り中にヒラヒラしていました。
私はダイビングというのを体験したことがないので、ウミガメと泳いだこともイルカに乗ったこともなく、海に降る雪といわれるプランクトンが無数に落ちていくところも見たことはなく、海を知り尽くしているとは言えません。もっともっとびっくりする海はあるだろうし、シンドバットの冒険のようなこともしてみたい気はあるのです。でもわくわくする欲求とは別のことを海に望むなら、生まれ変わったらフィリピンのあの海でジュゴンになりたいなぁと結構真剣に願っております。実際に遭遇したことはやっぱりないけれど、平和そのもののようなポッテリしたスタイルで、日がな海草を食んできれいな暖かい海でコロコロしているジュゴンというやつは、陸のパンダと並ぶ憧れの生き物なのです。
パンダとジュゴン、果たして来世はどちらになるのか度々悩んでいたら、困ったことになりました。山と海の他、第三の魂持っていかれ場に立ち寄ってしまったのです。
それはうちから歩いても行けるくらいの川でした。山に入ってすぐの渓流を上ったところに現れた川の窪地、そのすぐ上流のちょっとした滝壺、遊びに来たのになんだか涙が出そうでした。
大阪の箕面で育った私は当たり前に滝が好きで、学生時代は滝を求めて何度も旅を計画、実行し、名のある滝も名も無き滝も瀑布と呼ばれるやつも穴から吹き出るようなのも高いのも低いのも、かなり見て回ったものです。頭上からしぶきを立てて流れ落ちる滝をどれほどうっとり眺めていたことでしょう。
また訪れたいと決意した滝は何本もあります。大体が人の訪れが少ない、むき出しの場所でした。でも、ここで眠りたいな、灰になりたいなと思ったのはこの近所の滝でした。近所だからこそそう思ったのか、この歳だからピピっときたのかはわかりません。百歳以上生きる気満々の私にはまだうんと先の話ですが、灰は是非ここに巻いてほしい、この川を見守るのっそりとした存在になりたいと強く強く思ったのです。。私はこの清流でひっそり生きるサンショウウオになりたいです。
いつも滝壺に飛び込んでみたいと望んでいたのに、観光地だったり季節が夏じゃなかったり、危険泳ぐなの立て札に阻まれたりで、なかなか伸び伸び滝壺で泳ぐことはできませんでした。でももう渇望することはありません。しびれるように冷たい水だったけれど、ジャボンと手足を伸ばしてきましたよ。見た目より深い底まで潜って、また顔を出して、ずっと見ていたい空にも出会えましたよ。魂が喜ぶ遊びをした今年の夏は本当に恵まれていました。
ところでジュゴンとサンショウウオ、どちらも三重県で飼育もされています。どちらもきれいな水でしか生きられません。けれど鳥羽水族館で一番エサ代のかかるジュゴンに比べ、サンショウウオのエサ代はどの生き物より安くあがるそうですよ。最高のエサ代か最安のエサ代か、もし三重県で飼われるなら私の来世はどちらになるのでしょう。どうやら高いほうではなさそうですね。
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