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執筆者の写真亀成園長 まぁちゃん

指針のある子育てに挑んで その③

その①で私の子育てには3つの指針があることを伝え、その②でひとつめのシュタイナー教育について自分の考えの柱になっていることを述べていきました。指針というには長過ぎて、ピシッと決まっているとは言い難いですね。まあそれ程に愛子たちと進む大海原は一筋縄ではいかないということですか。そしてだからこそ面白いのです。大きすぎる指針が役立つのはこんな大洋しかありません。どんな大荒れにも対応できる、頑丈な羅針盤を持っていたいですね。

この羅針盤を支えてくれるのはオーストリアの思想家、シュタイナーだけではありません。日本の偉大なる先人の知恵が欠かせないのです。本当に沢山の先人たちが深い知恵の数々を残してくれておりますが、私にズドンと響いたのは佐々木正美先生の言葉でした。

育児書の中でもひと際分厚くて、それが三冊も並んで存在感を放っているのが佐々木正美先生の書かれた「子どもへのまなざし」です。頑張って読んでみる価値はプライスレスで、読んでから随分と価値観が変わった気がします。育児書というのは方法論でなく精神論なのだなとこの本で学びました。精神に骨があれば、細かい発達は気にしないようになります。細かい発達を気にしないようになれれば、育児の悩みって激減します。悩んでいる間にできることがあります。それはただ目の前の子共を認め、受け入れ、待ってあげること。

これが難しいのです。認めているつもり、受け入れてるつもり、待ってあげているつもりなのです。けれどもしかして足りないかもしれない。そう気付くとこがスタートですよ。

私が佐々木正美先生の話でグッときたのは大きく3つあります。

●父性より先に母性

●学童期は友達の中で育つ

●どんな子にも花が咲く

この三つを信じることで、自分の思い込みで暴走することを随分防ぐことができています。また詳しく紹介できればと思っています。

他にもう一つ、私の育児観を支えてくれているのは、阿部秀雄さんが日本抱っこ法協会を作って広めてくれた抱っこ法です。特にややこしい時期の泣きわめく幼児に手を焼いていた時に出会い、涙を流しながら学んでいきました。

この数年は泣くことすら涙活(ルイカツ)と言われ、泣くことのイメージが格段に上がっている印象がありますが、小さな頃から泣き虫な私は泣くことにいいイメージなんかありませんでした。何故って泣いたらいつも怒られたり困られたから。泣き虫はやめようね、泣いてちゃわからないでしょう、泣くな! 大体そんな反応でした。だから泣くのはこっそり一人で後ろめたく。

だから自分の子供がなんの躊躇もなくぎゃあぎゃあ泣くのには参りましたよ。新生児を過ぎ、1歳を過ぎ、2歳に差し掛かり、いっちょまえな口を聞くようになっても、日に何度となくぎゃあぎゃあぎゃあぎゃあぎゃあぎゃあぎゃあぎゃあ!

今なら別段気にもならないんです。あら、可愛いと自然に思えるくらい、柔らかく受けとめられるようになりました。慣れたのもあれど、考え方や感じ方が変わったことが大きいです。

抱っこ法の一番のメッセージは、「泣くのはいけないことじゃない。むしろ我慢せず泣いて、気持ちを受け止めてもらうことこそ大事である」です。とはいえしっかり受け止めるのが難しいことにも切ない理由があったり、受け止めきれずに自己嫌悪したりも沢山ありましたが、ずっとずっと向き合い続けてきて、だいぶ上手になった気がしています。

子育てをしていると、時々予期せず自分の中の子供と言われるインナーチャイルドが顔を出してきます。気にもしていなかったことや忘れてしまったことが突然大きく発現してきて、ただでさえ大変な時期にこれでもかというほど苦しい思いをしなけりゃいけないこともあるのです。ない人はそれだけで幸せですね。でもある人もちゃんと乗り越えて、一層幸せを感じられるようになります。

抱っこ法は子どもをまるごと抱きしめる在り方であり、自分も抱きしめてあげる在り方です。他人に優しく自分に厳しく、ではやっぱり辛いですし、辛い気持ちは溜まっていきます。子供にとことん優しくすることで自分にも必ずかえってきます。

さあ今日も子供たちは個性たっぷり遊び倒して、何かあるとすぐ泣きわめきながら私のところに走ってきます。軽くやれやれと思いつつ、よしよしして抱きしめて受け止めると、すぐに羽が生えたように駆け戻っていきます。こんな日々を繰り返して大きくなっていく愛しい子供たちに挟まれて、私は自分に微笑みかけているのです。

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