以前書いていたブログからの転載です。ちょっとだけ書き直しました。
人々は忙しがっている。それは今に始まったことではなくて、実際人間社会で立派にやっていこうとすれば、忙しく頑張って努力してとにもかくにも日々を進めていかなければ話にならないのかもしれないけど、忙しいと殺伐は結構近いなぁと思うようになると、なんだかやみくもに忙しい自分を認められなくなってしまった。スケジュールの埋まってない日を大事にするようになった。加えて小さな子供との時間である。彼らはほんとに時間なんて気にしてなくて、ノルマ達成もちっとも頭になくて、大事な家族と限られた知っている人で心から満足してて、地味なら地味なその日を、大騒ぎがたまーにあることを、心の底から楽しんでいて、いつも幸せそうなのだ。
私とてもちろん立派な人でいたいもので、きちんと認められた地位やほくそ笑めるほどの収入があったらどんなにいいだろうと夢想する。でも、それでもなお、選べるなら忙しくナイほうを自分できっちり選ぶ。これは結構勇気の要ること。だってもしかしてそんなことしたら自分の価値は下がる一方かもしれないから。この先自分に価値がつくことなんてあるのか、なんて不安にとらわれたらどん底まで行ってしまいそうだから。でもね、ほんとに欲しいのは忙しさじゃないって知ってるから、どこまでできるかわからないけど、なるたけなるたけヒマを大事にしようと決めたのです。
有閑だからこそ思いつくことがある。心に余裕があるからこそ気付くことがある。自由でいるからこそ不便なことも多いけど、やっぱり自由を求めている。そして、ずっと心に余裕をもたせることを心がけていると、少しずつ優しい感じが染み出てきているのがわかる。限られた人、主に子供とその周りの人々や生き物に対してであるけれど、ふんわりと受け止める力が付いてきている気がするのです。そんな大きな声で言えるほどでなく、道は遥かに続いているほんの途中なのだけど、自分の選んできたことは、そう悪くないかもしれない。それが私の伝えたい事です。
勇気を持って、有閑を愛し、優しい気持ちをふくらませて、自由な心で生きていきたいのです。これからもずっと。そこにそっと寄り添う心がありますように。
※画像はイメージです。実際の私とは関係がありません。
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