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パーソナルスペースを広く持つ

 全世界的に外出自粛規制が続いています。外出自粛とはつまり自分の家に閉じ込められたまま活動を余儀なくされるということ。旅行なし、宴会なし、カフェもショッピングもやめておこうという動きです。都会にいないので肌身ではわからないのですが、やはり街は閑散としているのでしょうか。元々家にこもって過ごすことが好きな人々には至って痛手のない規制なのかもしれませんが、そうでない市井の人にとって、いつもの活動範囲は狭められるというのは、自分で思う以上に心理的ストレスになります。

 自宅と職場だけの往復では物足りないから人は寄り道するのです。ショッピングとか飲み屋とか。学校からまっすぐ帰ってばかりではつまらないから寄り道するのです。道を変えてみたり、花の蜜を吸ったり。いつものスーパーだけでは飽きるからいくつかスーパーがあるとときめくのです。買うものは変わらなくても、ちょっと時間はかかっても。人は暮らしの圏内で移動するのが結構好きです。非日常となればもっと移動するだけで自分の中の風通しがよくなります。私は元々はおうち時間がかなり得意なインドア派ですが、寄り道や旅はすき好みます。移動するというのはそれだけで結構価値のある事。それがこんなに規制されてしまっていうのでは、ウィルスにかからなくても健康が危ぶまれる、と私には思えるのですが、どうなのでしょうか。

 辛抱たまらず出たがる都会の人と、都会からの感染を恐れる田舎の人。対立する必然なんてなかったのに、不穏な空気に満ちているのが辛い今の状況です。過疎高齢化で保守的な田舎では無理もないのかもしれませんが、宿泊施設や飲食店ばかりか公共スペースも山も閉じられる流れに呑まれているのが心細いです。出口はあるのか、いつなのか。吐き出したいことがたまる一方ですね。案外たくましく前向きな人が多くて人が腐らずいられることを望むばかりです。




今私にできることは、何なのか。ストレスでいっぱいの人々を未来に迎えられる場所を整えておきたいと思っています。これからこそ増加するであろう田舎暮らしのちょっと先輩として、とりあえず茶摘みです。畑です。ゲストハウス亀成園をより居心地よく整えていくことです。いつでも再始動できるように自分の持てる力を下げないようにすることです。あまり思いつめないように、淡々とできることをこなすだけで日々が過ぎていきます。


 閉じ込められている街の人々には申し訳気もするのですが、田舎暮らしではパーソナルスペースを広く保つことができます。家も広いし庭もある。道も空いているし川も広々、裏山もある。土地を管理するのは簡単な作業ではないのですが、閉じ込められると息が詰まる私にとっては、自分の領域を広く持つのは絶対に必要なことでした。そして今その有難さに日々感謝しています。


子供たちが騒いでいても、畑や茶畑では落ち着いて過ごせます。野良仕事を自分の仕事にしていれば、やることがないなんてことはありません。特に今の時期は草も伸びるし種も芽吹くし田んぼの準備もしなければならなくて、猫の手も借りたい時。5月いっぱい休校が延長になったことについては、子供たちばかりが余計に我慢させられていて憤怒案件なのですが、人手があるという点では悪くないのです。とりあえず毎年一人でこっそり行っていた茶摘みを娘たちに手伝ってもらったら、めちゃくちゃはかどりました。大好きな新緑の色にうっとりしている暇もないくらいせっせと摘んでもらって、どっさりの茶葉。


とりあえずこの茶葉を蒸したり乾かしたり発酵させて、保存できる茶葉にするまでは不安に押しつぶされることはありません。そうしているうちに摘み切れなかった葉がまた伸びるだろうし、野菜の苗も待っているし、ヒヨコも大きくなって場所を必要としてきます。


 動物にせよ植物にせよ子供にせよ土地にせよ、世話をするものがあると前を向かなくちゃいけません。落ち込んでいる暇はあまりなくて、厄介でも力が湧くものです。ただでさえ世話をするものが少なくないのに最近多肉植物も迎えてしまい、愛の持って行き場に困るという贅沢な悩みを抱えています。


できることなら心を広く、持てる場所を広く。不便な暮らしは飽きない暮らしです。分散して暮らしていても、つながる手段はたくさんある。経済的に自立する道もある。人の思いはいつだって一つではないけれど、伸び伸び暮らしたいなら土地は大事です。虫や鳥や獣や草はどんどん侵入してきますけどね。共に生きていきますよ。

 

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